敬老の日に親と過ごす食事の工夫。噛みやすさと喜びのバランス
敬老の日が近づくたびに、妻の里美が「今年はどうしようか」と考え込む姿を見かけます。
子どもたちも大きくなった今、親を招いて家族で過ごすのが定番になりました。
ただ、毎年同じ流れだと退屈かな、と思っていた矢先のことです。
先月、母が食事のときに少し硬い煮物を前歯でかじろうとして、ふと手を止めたんです。
別に嫌がった様子はありませんでしたが、その瞬間、私は気づかされました。
親世代と一緒に食卓を囲むことって、ただ顔を合わせるだけじゃなく、食べやすさにも気を配る必要があるんだということです。
■ 親の食べやすさって意外と見落としがち
文房具の営業をしていると、いろんな年代の人と話す機会があります。
最近、70代のお客さんが「最近、硬いものが食べづらくなってね」と何気なく話してくれたんです。
その言葉が妙に心に残りました。
敬老の日に親と過ごす食事の工夫って、何も特別なことじゃないんだと思い至ったのはそれからです。
煮込み時間を少し長くする、味付けを濃すぎず薄すぎず整える、温かいものは温かいままで出す。
そういった小さなことの積み重ねが、親の食べる喜びにつながるんじゃないか。
里美に相談したら、彼女はすでに考えていたようでした。
「お父さんのお母さんは、最近うどんが好きみたいだし、根菜は小さく切ろうか」。
こういう気遣い、私は本当に学ぶことが多い。
■ 家族で一緒に食べる時間の大切さ
和也と美幸にも、親孝行の意味を知ってほしいと思うようになりました。
敬老の日に親と過ごす食事の工夫は、単なる料理のテクニックじゃなく、相手を思う気持ちの表れなんだと。
最近、高校生の和也が「親父、敬老の日って何のためにあるんですか」と聞いてきました。
新渡戸稲造の武士道を愛読書としている私も、正直に答えるしかありません。
「年を重ねた人への感謝の気持ちを表す日だな。
それは食卓でも、会話でも、いろんな形で示せるんだ」と。
中学生の美幸は、母親の手伝いをしながら自然と学んでいるのかもしれません。
親が何気なく示す工夫を見ることって、言葉以上に伝わるものがあるんでしょう。
敬老の日に親と過ごす食事の工夫は、決して難しくありません。
ただ、相手の立場に立って、ほんの少し気を配る。
その気持ちが食卓に集まった家族全員に伝わるとき、初めて本当の意味での敬老の日になるんだと感じています。
今年の敬老の日は、いつもより少し丁寧に、親の食べやすさを考えながら過ごしてみようと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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